ビジネス便利屋のここだけの話 -2ページ目

会議で、好印象を与える自己表現法

 昨日は、好印象を与える自己表現術として、主に以下の2点についてご紹介しました。


○「あなたの話で思いついた」と、相手の話に関連させると、意見が受け入れられやすくなる。


○会議の発表のときの意見具申は、上の人間に教えを請う形ですると、生意気に聞こえない。


 これらと関連するものとして、以下のフレーズも追加させてください。


 ●企画や提案は、100%完成させず、上役の意見を聞く余地を残しておく。

 はじめに申しておきますが、これは全てのケースに当てはまるわけではありません。本来、一人前の社会人なら、企画や提案は自分で全て考え、プレゼンテーションしてもなんら問題はない。…と、いうより当然でしょう。また企業として、それぐらいの能力を持った社員がいなければお話にならないのも事実です。


 しかし、自分より優れた企画や提案が、部下の個人的な能力によってのみもたらされたということに、上司はどういう気持ちを持つでしょうか。


  客観的に見て、これは素直に喜んでいいことに決まってます。たとえホントは違っても、すぐれた部下を自分は育てたのだと思えば、表立ってそれに異を唱える人はいないはず。一応部下なんですから、多少の薫陶は目に見えない形でも、与えている可能性がある。


 でも、そう思わない上司って、結構多いかも。とくに大企業で、最先端の経営理論を勉強している上司ほど、部下が100%ひとりで作り上げた企画や提案にケチをつけそうです。本当にケチをつけねばならない企画や提案も数多くあるのでしょうけど…。


 これが、自分の会社とは関係ない赤の他人だったら、素直に受け入れられるんですよ。


 「○りえもんみたいに、旧来の価値観を変えるようなバイタリティのある若手って、うちの会社にはいないよな」


 なんて、嘆いている中高年中間管理職は、結構いるらしいですが、ホントに部下にいたらどうなんでしょうねぇ。


 「こいつの企画や提案が全て通ったら、大変なことになるぞ。いくら企画は良くても、あいつに権限を与えたら大変なことになる。俺たちは真っ先にリストラじゃ」と大騒ぎになって、どこぞの野球連盟みたいに、シャットアウトせざるをえなくなる。 


  これは少し極端な例かもしれませんが、能力のある部下が、自分ひとりで作った企画、提案に対して、諸手をあげて喜べないムードが一部の組織の中にあることは間違いありません。


 そこで、企画や提案を支障なく通したいと思ったら、それを100%完成させず、上役の意見を聞く余地を残しておく。


 これは、おべっかとも考えられますが、このような手を使って出世をした人が、日本の歴史の中にいますね。史上最大の出世をしたと言っていい、太閤秀吉です。


 ご存知のように秀吉は、草履取りから身を起こし、上司といっていい織田信長に気に入られ出世街道を邁進します。そして、毛利攻めの司令長官に任命される。まだ羽柴秀吉と言っていた時代です。


 秀吉は苦労しながらも、諜略を繰り返して味方を増やし、一歩一歩、毛利を追い詰めていきます。そして、自分だけの軍勢でも毛利と互角に戦えるところまでくる。ここで秀吉が、自分の軍勢だけで毛利を滅亡に追い込めば、すごい功名を立てることになるでしょう。


 秀吉は、自分だけでもある程度戦えるという自信はあったと思いますよ。でも、上司の信長に援軍を要請します。 「大毛利は、とても猿風情が戦えるような相手ではございません。是非、信長様自らの出馬をお願いいたしたく…」と、平身低頭して、秀吉は信長の出馬を懇願します。


 功名を100%完成させず、信長の意見を聞く余地を残しておいたのです。この辺の人間の機微の読み方はさすがですね。普通なら、絶対自分のところの軍勢だけで勝ちたいと思うのが人情です。  信長は、当然、秀吉の考えはわかっていたのでしょう。しかし、怒れない。


 「いつまで経っても、俺が出て行かなければ戦を終わらせられないのか」と苦笑したかもしれません。しかし、気分は悪くなかったのでしょうね。すぐ明智光秀を、秀吉の応援に向かわせ、自らも安土城を出て中国へ向かうべく、京都の本能寺へ入る。そのあとは、皆さんご存知の通り。


 能力に見合った仕事なら、一人ですべて完成させないと、「何だ。こんなことも一人でできないのか」と怒られる。


 周りの誰が見ても、できそうにない仕事をひとりで全てこなしていまうのは、気持ちのいいものです。若い頃、そう度々ではありませんでしたが、何回かありました。支店全体の目標を一人で全部やってしまうみたいな。


 当然、それだけ仕事をすればほめられます。全部自分がやったんだと肩で風切って歩きたくなる。


 しかし、それも一瞬。仕事ができるということは、確かに認める。だけど人間としては、ひとり突出して喜んでいる者は認めない。


 この論理を、もちろん面と向かって言う人は誰もいないでしょう。本人すら気づいていない場合が多いのですから。だけど、なんとなく面白くない。いけ好かないという気持ちだけが残る。そして、それがどんどん積み重ねられていくのですね。


 こういう人間関係のからくりを、太閤秀吉は知っていたのですね。いくら「人たらしの秀吉」と言われるぐらい人間関係に造詣が深くても、400年以上前の人ですよ。


 そんな昔の人に、いまさらながら教えられるというのは、人間は進歩したなんて、勝手に思っておきながら、実際は少しも進歩していないことに驚かされるのです。

会議で、印象よく意見が受け入れられる法

  昨日は、せっかく私のブログをお読みいただいた方にご迷惑をおかけいたし、申し訳ございませんでした。お読みいただかず、今日はじめてお読みいただく方は、とても幸運な方ですので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。


 それでも、昨日の実験的行為により、文章や会話のセンテンスは短く、ということは立証されたように思います。(←全然、懲りてない)


 落語の、「寿限無寿限無、五劫のすり切れ、海砂利水魚の水行末、運行末、風来末、食う寝る所~」(っと、あぶない、あぶない、また昨日の二の舞を踏むところだった)という名前をバカ正直に呼ぶ人たちは、皆、頭悪そうに描かれていますものね。


 要点を端的に、短いセンテンスで表現できる人は、できる人、と見られるのは間違いないようです。  これと似たような、会議で気をつけたい点があります。


●「私に良い考えがあるのですが…」や「絶対、消費者に受ける新商品のアイデアを思いついたのですが…」など、会議のほかの参加者に期待を持たせる前置きは、逆効果になりやすい。

 たとえ、本当に、良い考えや絶対に受けるアイデアであっても、こういう前置きを自信満々で言われると、あとでそれらを聞き、な~んだぁ~と言いたくなりませんか?


 人は、鼻高々の自信家の意見を、たとえそれがどんなに素晴らしいものだったとしても、受け入れたくないんですね。それを無条件で受け入れると、あの野郎、ますます増長するだろう。ここらでひとつ、あいつの高い鼻をへし折って懲らしめてやろうと考えるんですな。


 おごり高ぶって領民をいじめる悪代官に、黄門様が、「助さん、格さん、少し懲らしめてやりなさい」と言うような。


 では、どうするか。その答えが、会議で好印象を与える自己表現術のその2。


 ●「あなたの話で思いついた」と、相手の話に関連させると、意見が受け入れられやすくなる。

 たとえば、「私に良い考えがあるのですが…」などと、自分で一から十まですべて考えたと自慢して顰蹙を買うよりは、「実は、以前、○○課長からご指導いただいたことから、ふと思いついたのですが…」とやったほうが、意見が受け入れやすいということ。


 そうですよね。上司の顔も立つし、上司の考えが反映された意見だと周りの人たちも思うでしょう。少し、自分の自意識を減らしてやるだけで、大きな効果が期待できます。


 次に、「絶対、消費者に受ける新商品のアイデアを思いついたのですが…」なんていう自信過剰の権化みたいな例はどう改めるか。


●会議の発表のときの意見具申は、上の人間に教えを請う形ですると、生意気に聞こえない。

 これが、会議で好印象を与える自己表現術のその3。


 たとえば… 「新しい商品開発について、消費者の視点から、こんな新商品のアイデアを考えてみました。

しかし、開発過程でこんな疑問がわいたのですが、考え方の方向性を教えていただければ助かります」


 と、改めてみたらいかがでしょう。「何だ、そんなこともわからないのか」と、ブツブツ言われながらも、案外目は笑っている、かもしれませんよ。

会議で、印象よく自己主張できる法 

 今日は久しぶりに、昼休みにブログを書いてます。まだ昨日の疲れが残っているみたい。今日は昨日と違って、雨か…。


 気をつけないとホントに体調を崩しますね。いや、もうすでに崩したのでした。


 もっと崩す前に、昨日の続きの会議テーマのブログを書かねば。


 さて、会議というのは、何度も申しますが、大勢の人たちが参加するケースが多いです。ひとつの発言、ひとつの動作、表情が、大勢の人たちにインプットされます。仕事の現場で、大勢の人たちが一緒に論ずる機会というのはそう多くないはずです。だから一層、会議の場での立ち居振る舞いが、一人ひとりの仕事の評価とあいまって印象に残りやすいのです。


 また、同じ議題を論じれば、その発言内容や考え方の違いによって、その人の能力や取り組み姿勢に優劣があることが明白になります。会議の場での成功、失敗というのは、仕事の評価に大きな影響を及ぼすのではないでしょうか。


 仕事の内容が悪ければあきらめもつきますが、仕事は申し分のない働きをしていても、会議の場での印象が悪いために、冷や飯を食っている人たちは結構大勢いると思いますよ。


 …というのは、もしかしたら私も、勤め人をしていた頃は、まわりに悪い印象をふりまいていたのではないか、と考えるのです。営業の数字は結構あげていましたが、評価するのは周りの人たちですからね。 営業で頑張って会社に利益をもたらす = まわりの人たちが大喜び、という当然の理屈がまかり通らないのが会社組織の面白いところ。


 独立開業し、自分が客観的に見られるようになって気づいたことって結構あります。会議の場でも、今の自分なら、何でそんなバカなことやるんだ、っていうことを平気でやっていたのですから。


 どんなに偉い先生や一流大学を出た経営陣が、経営学、経営組織論を唱えたところで、所詮、会社組織は、人と人の集まり。高等数学並みの高度な理論を学ぶ前に、まず人間関係の基本原則を勉強した方がいいのかもしれません。


 …と、前ふりはいつもながら長く、いつもと違って、カッコいいことも書いてしまいました。  要は、自分の主張したいことを、ただストレートに言うだけじゃなく、相手がそれをどう受けとめるかということも考える必要がありますよ、と言いたいのです。


 自分の主張が、たとえ会社にとってプラスになることでも、主張の仕方によっては自分にとってマイナスの評価になる可能性もあるからです。


 多胡輝氏の著作の中に、「好印象を与える自己表現術」という本があります。この本はまさに、上記のジレンマの解決策を提供してくれています。そのなかで、会議の場で使える方法だけに絞って、「会議の場で好印象を与える方法」についてご紹介しましょう。


 ただ、もともと会議の場で好印象を与えるという趣旨で書かれた本ではありません。かなりの部分、現場で失敗を重ねた私の勝手な解釈が含まれておりますので、念のため。


 では、会議で好印象を与える自己表現術その1から。


●会議に提出する資料の文章は箇条書きを基本とし、センテンスを短く区切る。また会話のセンテンスも短く区切ることで、頭の良さを印象づけられる。

 センテンスを短く区切って、わかりやすく、読みやすく書くっていうのは、頭ではわかっていても、なかなか実際にはスパッと文章を切っていくのはある種の勇気がいることですし、かえって短くすることで、頭が悪いんじゃないかと勘ぐられる危険性もなきにしもあらずなような気がいたしまして、思うに任せないような状態が続いておる次第でありますが、また、センテンスを短く切って会話すべしという点に関しましても、こちとら江戸っ子でぃ、気が短けーんだというべらんめぇ調か、はたまた、ぼく、今日、先生にほめられたよ、みたいな子供言葉みたいに思われて、ちょっとあいつ、頭が足りないんじゃないのかと会議の参加者に思われ、評価が下げられるのではないか、という疑心暗鬼に襲われて、未だ華々しい成果を上げられない状態にあるわけでありますが、まして文章や会話のセンテンスを短く切ることによって頭の良さを印象づけられるなんて、まさか、そんな、ばかなことが、世の中に、あって、いいものだろうかと考え、では、逆に文章を長くすることによって、頭が悪いということが印象づけられれば、ソクラテスの三段論法的解釈ではもちろんありませんが、逆説的な解釈によって、上記のフレーズをはなはだ僭越で、しかも公共のブログを使い、かつ、お読みになっている方々の貴重な時間を拝借してまで、実験をさせていただく意味あいがあるのだろうかと考えつつ、このような暴挙に出た次第でありますが、あ~なんだか自分でもなにを言いたいのかよくわからなくなってきましたので、誠に申し訳ない次第でありますが、この続きは次回にさせていただいてもよろしいでしょうかと、…


 誰か、突っ込み入れてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ~!!! 途中まで、受け狙いでやったのですが、ちっとも面白くない!!!

 自分でもわかってるんですけど、止められない。ブログに、即、突っ込みを入れられる機能があると、助かるんですけどね。


 すいません。収拾がつかなくなってきましたので、この続きは明日書きます。少し昨日の熱中症の症状が出ているようなので…。  次は真面目にやります。どうかお許しください。 

会議で、できる奴と思われる法

 今日一日、炎天下の会社まわりですよ。暑かった。去年も暑かったけど、6月からこれでは先が思いやられます。


 それにしても、この炎天下、サラリーマンは、ネクタイはもちろん、上着着用で結構大勢の人が歩いているんですね。さすがに私は、半袖、ネクタイでしたが…。


 うちの選挙区の都議会議員候補者は、クールビズのノーネクタイで涼しそう。しかもチノパンですよ。うらめしそうな横目で通り過ぎるサラリーマンをよそに、涼しそうに演説してましたが、その結果は神のみぞ知る…。 


 あまり書くと選挙違反に問われそうなので、さっさと本題に行きましょう。


 昨日まで、会議で自分をアピールする方法、主導権を握る方法について、会議室で座る席を中心に書いてきました。


 もちろん会議は、有利な席に座ってしまえばこれで終わり、というわけではありません。当然有意義な発言をし、議論に積極的に加わる必要があります。


 優れたアイデアを出し、皆にできる人間だと思われれば上出来。それができなくても、しっかり存在価値をアピールすることは最低限必要でしょう。


 ここではあえて、優れたアイデアを出す方法には触れません。私のノートには、たっぷり独創的なアイデアを出す方法についての裏技が書いてあります。それぞれ自分で試して効果は確認済みですが、今回は会議のテクニックだけにこだわりたい。


 果たして、テクニックが、発言の内容を補い、それを超える効果を発揮できるかという点に興味がありますので。どこかで実証してみたいなぁ。


 それはともかく、会議のテクニックとして、発言するタイミングについてこだわってみたいと思います。


 ところで、会議で一番目立つのは、どんなシーンでしょう。


 おそらく、会議の最中、皆、いいアイデアが浮かばず、顔を見合わせて沈黙してしまったとき、その沈黙をさっそうと破って意見を言うシーン。または、参加者同士の対立で会議が紛糾し、収拾がつかなくなったとき、解決の方向性を提案するシーンでしょうか。


 たとえば…

 「これまでの意見をまとめてみると…」

「意見が対立しているみたいですが、問題を整理してみると、要するにこういうことですね」

「この点だけが問題で、あとは合意と考えてもいいんですか? それでは、こういうふうにしたら、いかがですか?」


 …なんて言いながら、全体の意見や方向を見極めてまとめ、調整する役目に徹する人です。


 こんなことを言うと怒られそうですが、大して発言に内容がなくても、話し合いの方向付けをする人は、結構、皆の記憶に残るのではないでしょうか。


 テクニックとして、自分の発言を効果的に見せるタイミングがあるそうなんですよ。


 たとえば、意見が対立して参加者同士激しい応酬があるケース。このような、出席者の関心が高い内容の場合は、上記の例のように、多くの意見が出た後で発言するのが効果的です。


 また、出席者の関心が低く、誰も積極的に話しをしないような場合は、なるべく早い時期に発言するのがよいそうです。どうしてかというと、出席者の緊張感も手伝って、印象に残りやすいから。


 そういえば、企業ドラマや時代劇の会議のシーンなんかを見ていると、主役が話すタイミングがあるんだなというのがわかります。それがちょうど、上記のケースに似ている。


 会議のテクニックばかりに走って、もっと王道を進まんかい! と言われそうですね。もちろん、独創的なすぐれたアイデアや問題解決の方法を提案するのを否定するつもりはありません。


 しかし、せっかく素晴らしい意見やアイデアがあるならなおさら、効果的な発言にしてアピールするテクニックは重要だと思いますよ。 

会議の方向を思い通りにする法

 今日は、昨日の日曜日と比べて涼しくなると予報で言っていたのに、しっかり暑かった。明日はもっと暑いそうですよ。嫌だなぁ、明日は延々と外回りしなければならないのに…。

 これだけ暑いと、風邪ひいて熱があった頃が懐かしい。あのときは、この暑さのなか、寒い、寒いと、ガタガタ震えていたんですから。


  …、なんて嘘です。頭はガンガン痛いし、喉が真っ赤に腫れ上がり、食べ物を飲み込むにも、顔をしかめる始末。もう、あんな嫌な気分はこりごりですね。


 意外と今は、夏かぜが流行っているみたいですよ。私は、着るものはいつも流行遅れなのに、風邪をひくときだけはいつも最先端を行っています。私の風邪が治ってから、約一ヶ月してから、世間では風邪の流行のピークを迎える。このようなパターンがここ数年続いています。


 皆様、くれぐれも風邪にはお気をつけください。


 さて、今日はまた、「風邪を治す法」の前にとりかかっていたテーマに戻りたいと思います。題して、会議の方向を思い通りにする法。


 先日のブログでは、会議室の座る席によって、リーダー的立場になれる場所の具体例を書きました。


 ところで会議は、相手があってはじめて成立します。参加者には、それぞれ利害関係といったものがあるはずです。そこで、リーダーになる必要はなくても、自分の望む方向へ議論を持って行きたい場合もあるでしょう。


 そんなとき重要なのは、会議の方向性を左右するキーマン。


 キーマンと友好関係を保ちながら、会議を進めたいと思う場合もあるし、どうしても受け入れなれない議題だったら、キーマンと対立しなければならない場合もある。


 議題の方向性によって、相手と友好的な立場を取りやすい席、対立して議論しやすい席の取り方というのがあるんですよ。


 いわば、会議の目的によって、もっとも効果のある席の取り方。


  たとえば、会議室のテーブルが、もっとも一般的な長方形だったと仮定しましょう。


 会議の主導権を握りたいなら、長方形の長い辺の真ん中。そして窓などの光源を背にするとよいと、先日書きました。そして、いつも自分の意見に反論する相手がいたら、彼に目の前に座らせないために、協力者にそこに座ってもらうとも。


 会議のキーマンが、テーブルの長方形の長い辺の真ん中に座ったとして、もし自分が彼と協力して議題を進行したいなら、なるべく彼のとなりに座るとスムーズに行きます。そしてキーマンが発言したら、すぐそれに同調する。


 昨日も言ったように、発言直後の賛同意見は、反対者の発言する機会を奪うことになるからです。また、長方形のテーブルの短い辺の真ん中は、副議長的な席なので、そこに座ってサポートするのもいいですね。


 逆に、相手と対立的に議論したいなら、もちろん正面に座る。しかし、客観的な立場から見て、お互いがテーブルの真ん中で言い争ったのでは収拾がつかなくなる恐れがあります。だったらその二人は、テーブルを挟んだまま平行移動してもらい、テーブルの端に座ってもらう。そして、客観的な視点を持った人に真ん中に座ってもらうのです。


 中央の争いから地方の争いに転換する。すると中央から斡旋する余地ができます。争いがないのにこしたことはありませんが、大勢に影響ない場所でやりあうのも時には必要かもしれません。多少のガス抜きは必要でしょうから。


 また、相手と一番リラックスして話ができる位置は、テーブルの四隅にある角をはさんで座る席ですね。少人数の会議などでは、フランクに話しやすい席です。


 逆に、犬猿の仲の二人がいれば、隣同士に座らせてしまう。並んでしまうと、お互いの距離が接近して、人間は対立しにくくなるものと言われています。


 話は変わりますが、リーダーが好きに席を選べる場合、長方形のテーブルのどこに座ったかによって、その人の仕事に対する考え方がわかるそうです。


 たとえば、長方形の長い辺の真ん中に座るリーダーは、人の和重視タイプ。短い辺の真ん中に座るリーダーは、実務型の課題優先タイプです。


 そういえば、かつての私の上司は、短い辺の真ん中にいつも座わりました。確かにそれは言えました。人の和よりも、結果がすべてといった感じの人でしたから。


 こういう上司は、結果を出すのはもちろん大変でしょうが、人事考課が単純明快なので、あとくされがなくていい。人の和というのは、とても魅力的な言葉ですが、人事考課の判断材料にされたら、極めてあいまいな評価法になってしまいます。結局は上司の好き嫌いで、評価される、なんてことも。


 少し、話がそれました。


 企画会議など、新しい発想を生み出したり、いい解決策を考えるなど、創造力の発揮が必要な会議では、いかに和気あいあいとした雰囲気を作るかが重要です。


 この場合、服装をラフにすることも効果的ですが、小さめの部屋を使い、丸いテーブルを使うといいアイデアが出やすくなります。

風邪を一晩で治す法

昨日、風邪がぶり返してきそうになりましたが、おかげさまで今日の調子は悪くないです。少しのどの痛みが残っていますけど、バファリンを飲んでしまえば健康体とほとんど同じ。


 やっぱり一昨日の「風邪を1日で治す法」が効いたのでしょう。38.2度の熱が出て、翌日、炎天下を1日歩き回る不養生を行っても大丈夫だったのですから。


 しかし、風邪をひくと意地になって休まない性格はなんとかしたほうがいい。…と、自分でもわかっているんですけどね。


 さて、風邪を1日で治す法(正確には、一晩で治す方法)について書きたいと思います。


 たぶん試してみる方はいらっしゃらないと思いますが、もし真似されるのでしたら、体力のある人だけにしておいてください。医師も言ってましたし、相当体力を消耗するのは事実ですので。とくに高齢者や心臓の悪い人には、絶対勧められません。


 昨日、風邪のウィルスは、熱と湿度に弱いとブログに書きました。私の風邪克服法は、その防衛反応を徹底的に促進して、風邪を治す方法だとも。


 まず湿度から行きましょう。これは、部屋の湿度を徹底的にあげるのです。今は加湿器という便利な器械がありますが、なければ部屋の中でお湯を沸かすなどして、窓から水滴がたれるぐらい徹底的にやる。


 この場合気をつけなければならないことは、自分の体より、部屋にある家電製品や電子機器です。とくにテレビやパソコンは、湿度が異常に高い状態にさらされると一発で壊れます。かつてこの方法をやり、私の部屋のテレビが故障しました。必ずこれらの機器を部屋の外に持っていってから、湿度を上げてください。


  次にウィルスは熱に弱いという弱点を徹底的につく。もともと風邪をひいて体温が上昇しているわけですから、それを利用しない手はない。汗を吸い取りやすい下着を重ね着し、その上からパジャマを着る。そして首に手ぬぐいを巻き、仕上げとしてウィンドブレーカーを着る。その格好のまま、ベッドや布団に横たわるんですよ。掛け布団もしっかりかけて寝る。


  その格好は、発汗によるダイエット法と同じです。しかし、本当に熱が高いときは、そこまで着こんでも寒いぐらい。それだけ着こんで寝ていても、丸くなってガタガタ震えているんですから。


 おっと、大事なことを忘れていました。寝る前に水分はしっかり取ってくださいね。最初のうち、尿となって全部出てしまうので、枕元にペットボトルを置いて、頻繁に水分補給をする。


 眠ったとしても、熱が高く、悪寒もひどいので、悪夢にうなされることになります。風邪のウィルスが熱と湿度によって、断末魔の苦しみをあげているのを実感するでしょう。


 そして、深夜、目が覚める。さっきまでの悪寒がなくなり、すごい汗をかいているのに気づきます。気持ち悪いので、下着を換え、再び水分を補給して、またウィンドブレーカーを着て横になる。部屋の湿度が高いので、風呂場にいるような気分になるはずです。


 翌朝、目が覚めると、昨日と違った自分を発見するんじゃないでしょうか。悪寒が消え、頭痛もない。けだるい疲れは残っているものの、生まれ変わったような爽快感。


 風邪のウィルスが、徹底した熱と湿度の攻撃で死滅してしまったんですね。


 以上が、私の風邪克服法です。デメリットは、気をつけないと部屋にカビが生えるってことです。全快したら、部屋をすぐ乾燥させてください。よろしく。


 ほかにも自分の素人療法は、いろいろありますが、今日はこのへんで。


 明日からまた、ビジネスネタで行きたいと思います。

風邪を1日で治す法

こんばんは。


 今日も、夜にブログを書いてます。今日の日中は、1ヶ月ぶりにハイキングに行きましたので。


 場所は、多摩川のハリウッド? と言われる調布です。先日、「ウォーキング」という雑誌を読んでいたら、そこが紹介されていたので行ってみる気になったんですよ。


 どうして、ハリウッドなのかというと、かつて日活や大映の撮影所があって栄えたから。日活の撮影所は、貸しスタジオになっていましたが、大映のほうは、角川大映スタジオとして、今でも映画の撮影が行われているみたいで、入り口に「大魔神」の像が置かれていました。


 「大魔神」の説明文を読むと、身長は、4.5メートルなんだとか。子供の頃、映画で見た感じでは、もっと高かったような気がするけどなぁ。片手で、悪人を何人も持ち上げてましたから。


 調布市の郷土博物館は無料で、しかも土曜日の午後なのに、ひとりの入館者もいない。結構、楽しめましたよ。閲覧用に置かれているパソコンが、十年以上前のもので、なおかつ現役なところがすばらしい。縄文時代の土器より、初期のウィンドウズに触れられるところが、売りですな。


 その模様は今度また書かせていただくとして、今日は風邪の話。


 実は、昨日の夜、無理がたたったのか、風邪で熱を出してしまったのです。なんとなく調子が悪いなと思って体温を測ったら、38.2度。


 次の日は安静にしてたほうがいいですよね。しかし、遊びに行こうと予定を立てていたのです。このチャンスを逃したら、また一ヶ月ぐらいどこにも遊びに行けない。


 なんとか、今日の朝までに熱を下げねばならない事態に陥りました。


 ここで私には、とっておきの風邪克服法があるのです。実は私、高校時代風疹で学校を一日休んでから、病気で会社や仕事に穴を空けたことがないのですよ。


 といっても、会社を作った当初、心労で大きく体調を崩して休んでたことがありますが、仕事がなかったから穴を空けたことがないだけ。そんなこと、全然自慢にはならないのですが…。


 また話が横にそれないうちに、風邪克服法。


 そもそも風邪をひくと、どうして熱がでるのでしょう。ご存知の方も大勢いらっしゃると思いますが、風邪のウィルスが悪さをして、熱を上げるわけではないのです。


 風邪のウィルスは、熱と湿度に弱い。だから、自分の体がそういう状態を自ら作って、風邪を退治しようとするんですね。いわば、体の防衛反応。

 

 私の風邪克服法は、その防衛反応を徹底的に促進して、風邪を治す方法です。この防衛反応については、NHKの「ためしてガッテン」でもやっていたし、クリニックの事務長をしていた頃、医師に、この方法はどうですか?と聞いたことがあります。専門外の整形外科の先生でしたが。


 その先生は、確かに効果があるのは間違いないと、言ってくれました。だけど、相当体力を消耗するから、やめといたほうがいいよとのこと。


 確かに、昨日の過激な素人療法と今日のハイキングで、現在、体はぐたぐた状態です。


 なんか、寒気がする。頭も痛くなってきたみたい…。すいません、また風邪がぶり返してきそうなので、今日はここまでにさせてください。文章も支離滅裂になっているようなので…。


 明日、体調がよければ、風邪の具体的な克服法を書きます。(←克服してなければ、克服法ではないですね)


 でも一応、熱が下がり、支障なくハイキングへ行けましたので、安静にしてれば1日で治ったはず。どなたかの突っ込み、お待ちしています。

会議で、主導権をにぎる法

 昨日のブログで、会議室で座る席の場所によって、会議のリーダー的立場になれる可能性があると書きました。

  その席とはどこか。


 結論から言いますと、当たり前と思われるかもしれませんが、上座です。


 上座とはどこかというと、釈迦に説法かもしれませんが、会議室の入り口から遠い席。しかも窓際で、窓を背にしていればベストと本には書かれています。光源のそばに身を置くことによって、自分を大きく見せることができるからです。


 もちろん、元から上の立場のある人は、どこに座っても、それ相応の影響力を行使できるはずです。しかし、同じ階級にある者、または職位に関係のない会議に関しては、ある程度この説は確かだと思えるのです。  会社に勤めていたとき、ある会議に出席したことがあります。その会議は、会議室に入った順番で自由に席を選べる形になっていました。


 一般の傾向からして、そういう形だと入り口から近い下座から席が埋まっていきます。私も下座に着席して、会議が始まるのを待っていました。すると後から遅れて、新入社員が入ってきたんですよ。彼が入ってきたときは、下座は全部埋まり、まさに窓を背にして座る上座しか空いていませんでした。新入社員は仕方なく、上座に座りました。  


 私が下座から見ると、上座に座るその新入社員が後光に包まれ、すごく荘厳に見えるのです。 皆もそう見えたのかもしれません。司会者が、半分茶化す意味もあって、議題が変わるたびごとに彼に意見を求める。


 何回かそういうやりとりのあと、最後、なんと新入社員の意見が通ってしまったんです。それがどういう内容のものだったか覚えていませんが、さほど大した意見ではなかったのではないでしょうか。会議の後、なんであんな意見が通ってしまったのだろうと、同僚と話した記憶が残っていますので。


 今から考えると、それは上座に座った効果ではなかったのか。


 そのとき下座に座った私は、その他大勢のなかに埋没してしまった印象があります。なにか話しても、不思議と注目が集まらない。


 いつもは、「また、あの野郎。おかしなことを言ってる」と皆から笑われるんですけどね。


 また、会議の場で印象を強めるには、いつも決まった席にすわるのがよいと言われます。そのたびに席を変わるというのは、ほかの人の印象に残りにくいからだそうです。確かに、発言力のある人は、いつも決まった場所に座る傾向が強いのではないでしょうか。


 逆に言うと、たまたま下座に座った人。目立たない場所に座った人は、議論から疎外されがちになり、あとあと不満が残ることにもなりかねない。


 全員が、会議に参加しているという雰囲気を作るためには、議論の大勢が決まりつつある段階で、下座に座っている人たちの意見をじっくり聞くことも重要です。それだけ、会議の場で座る場所というのは大事なんですね。


 それから、いつも自分の意見に反論する相手っていませんか? そういう論敵が、自分の真ん前に座ると、より対決姿勢が明確になってしまう。徹底的に相手とやりあいたいという人はいいかもしれませんが、そうじゃない人は自分の正面に、協力者にすわってもらうことも一法です。そして、いつも反論する相手が口を開く前に、協力者に「賛成」と賛同してもらうことです。


 それは、あなたの発言直後に、バックアップする形で言って貰えればベスト。反対者が、反論するため発言する機会を奪う形になりますから。


 これについて有名な事例があのますよね。関が原の戦いを前にした徳川家康です。


 上杉征伐で、豊臣恩顧の大名を引き連れ、今の栃木県小山にいた徳川家康は、石田三成の挙兵を聞き、反転して彼を討つ作戦に出ようとします。しかし、大阪城には今一緒に小山にいる豊臣恩顧の大名の妻女が人質になっている。今、石田三成征伐を宣言しても、彼らが味方についてくれるかどうかわからない。


  そこで家康は、彼らの中の協力者に、いち早く自分に味方すると宣言してもらいます。その作戦によって、どっちつかずだった大名も味方にし、関が原へ向かうことができたのです。


 ところでその協力者って誰でしたっけ? 福島正則と山内一豊だったと思うのですが…。この辺の事情は、司馬遼太郎の「関が原」に詳しく書かれています。


 そういえば、司馬遼太郎氏の一連の著作も一流のビジネス書と言えるかもしれませんね

会議で、できる自分をアピールする法

 今日は心機一転、新しいテーマのブログです。さて、何を書こうかなと、昔メモしたバインダーノートを眺めました。


 前にもお話しましたが、このノート。独立開業したものの仕事がまったくなかった時代に、近隣の公立図書館をほぼ半年以上かけ、将来、自分の仕事に役立つと思うところをメモしたものです。


 ふと目に留まったのが、「会議の場で、自分をアピールする方法」の箇所。


 何で、こんな箇所をメモしたんだろうと、笑ってしまいました。なにせ、独立開業してから、会議なんてしたことがない。お取引先やアルバイトと打ち合わせはよくしますが、あらたまって机を取り囲んで議論するということはないです。


 第一、会議をする人数が、会社にいませんからぁぁぁぁぁぁぁぁ~残念!


 …といって、正直、残念ではないです。組織の方向性がまだ決まっていないとき、皆が頭を絞って、いいアイデアを持ち寄り、参加者全員の同意の下にひとつの方向性が決まる会議なら、非常に有意義だと思いますよ。


 ところがそういう会議って意外と少ないですよね。最初から少数のリーダーたちが方向性を決めていて、その伝達の場だけになっているケースがあまりにも多い。


 会議ではなく、上司の個人演説会。またはミスを犯した従業員の糾弾の場になっている場合もあります。


 会議を辞書で調べると、「人が集まりなにかをきめること」とありました。集まる前から、きまっていたら、会議じゃないんじゃないかと、うがった見方もしてしまうのです。


 でもそんなことを言ってたら次へ進まなくなるので、ここではそういう会議もどきの場合は無視して、皆が集まって平等に意見を述べる会議ということでお話したいと思います。


 そういう理想的な会議の場では、仕事の取り組み姿勢や企画力、表現力といった面で大きなアピールの場になると思います。いつもは、それぞれ違った自分の仕事をしていますが、会議の場では、ひとつの目標に対して、誰がそれに近づく努力をしたか、誰がいいアイデアを出したかという基準で評価できるからです。


 いわば同じ土俵で、戦わざるをえなくなるんですね。ここで自分をアピールできるかどうかというのは、結構重要なことではないでしょうか。


 もちろんそのためには、企画力、表現力、独創性などが求められます。しかし、所詮人が人を評価するわけですから、会議の場でうまく自分をアピールするテクニックというものが存在するようです。


 逆に言えば、いくら本来の実力で自分をアピールしても、自分をうまくアピールする人のテクニックに敗れるケースだってあるわけですよ。


 多胡輝氏の「しぐさ、動作、ふるまいの心理学」という本には、そのあたりのテクニックが興味深く書かれています。


 たとえば、会議の席が自由に選べる場合、すわる席の場所によって、会議のリーダー的立場になったり、どんなにすばらしい意見を言っても高く評価されない、なんてことが起こるらしい。


 徹夜して考えた素晴らしい独創的なアイデアが、いつも採用されなくてふてくされている人もいるかもしれませんね。もしその理由が、いつも自分が座る場所のせいだったとしたら…。


 ちょっと極端な例かもしれませんが、ホントなのかな。


 それにしても、せっかくいろいろな図書館をまわり、ノートにまとめた「会議の場で、自分をアピールする方法」。新規開拓、営業話法、苦情処理、マーケティングなど、ほかの部分は、実地でためしてみる機会がありましたが、これはメンバーの一員として会議に参加しなければ、試しようがない。これらのテクニックが会議の現場で実際使えるのか、すごく興味があります。


 どなたか、明日からブログに書く内容を、実際の会議の場で試してみて、成功したか失敗だったかを教えていただければうれしいのですが…。 

苦情処理に効く格言

 今日は雨。結構、降ってます。ずっと引っ張り続けた苦情・クレーム処理シリーズもいよいよ最後。 


 それにしても、今日の雨の降り方は、ミュージカル「雨に唄えば」の雨でも、バート・バカラックの「雨にぬれても」の雨でも、森高千里の「雨」の雨でもないですね。


 どちらかといえば、三善英史の「雨」がふさわしい。


 どうしてかと理由を聞かれても困るのですが、ただなんとなく…。


 それはともかく、苦情処理の格言。昨日の夜のブログに書きましたように、昔のノートをひっくり返し、苦情処理に効くと思われる格言を集めてみました。


 以下、アトランダムにあげてみましょう。


●「相手に直接会って話すのが、お互いの悪感情を一掃する最良の方法である」

 これを言った人は、あの有名な、アメリカの16代大統領、エブラハム・リンカーン。この格言は、携帯電話やインターネットのメール、チャットなどコミュニケーション手段が、当時とは問題にならないぐらい増えている現代に効く格言だと思います。


 電話やインターネットでは、普通、相手の顔が見えません。だから、言葉や文章だけでコミュニケーションしなければならない。本来人間のコミュニケーションは、相手の表情やしぐさからも多くの情報を得るもの。それがないばかりに、電話やインターネットでは冗談を本気と受け止められたり、ちょっとした指摘を中傷と取られたりする。


 とくに苦情処理の場では、相手はいきり立っている場合が多いです。電話やネットだけでは、こちらの誠意が伝わらず、ますますこじらせてしまうケースが多いのではないでしょうか。


 若い頃、電話でお客さんと話していて、お客さんを怒らせてしまったことがあります。今考えても、入金の催促でなぜ怒らせてしまったのかわかりません。でもとにかく、お客さんを怒らせてしまったのはこちらの不手際。電話ではこちらの意思が伝わらないと思ったので、夜、1時間以上電車を乗り継いで謝りに行きましたよ。


 だから今でも私は、重要な用件を電話やメールで伝えるのは好きではありません。もし何かあった場合、電話やメールのコミュニケーションではこちらの意思の半分も伝えられませんから。


 苦情処理は、実際会って話すのが鉄則です。


 


●過失の言い訳は、かえってその過失を大きくすることになる。

 これを言ったのは、シェークスピア。せっかくプラスアルファの苦情処理法だなんて、もったいぶってえらそーに書いたのに、メジャーな格言だったのですね。


 ちなみにシェークスピアが死んだのは、1616年。徳川家康と同じ年に死んでいるんですよ。こんな古い時代にも、口先だけの言い訳や言い逃れをして、かえって相手をますます怒らしてしまった人がいるのですね。


 でも、名言というのは、その人の経験をひとつの法則として言い表した言葉だと思います。するとシェークスピアも、言い訳や言い逃れをして一度ひどい目にあったのかなぁ。


 リンカーンもシェークスピアも、いろいろひどい目に遭い、悩んで偉くなったと思うと少しは救われるような気もする。




●論戦に勝つことで、何らかの真理が樹立された例はいまだかつてない。そんなことを信じているのは子供だけだ。

 これを言ったのは、フランスの哲学者のアランという人だそうです。お客さんと言い争い、言い負かしたとしても何も生まれてこないということでしょうか。


 こちらの溜飲は下がるかもしれませんけどね。ただこれは反論のある人はいるかもしれませんね。永田町のあたりでは日夜、論戦が繰り広げられているようだから…。あれだけ論戦しても、何の真理も樹立された例はないと断言されたら少しかわいそう。


 でも、やはりこの名言も鋭いところをついています。確かにお客さんと論戦して勝ったと喜んだ営業マン、苦情処理担当者を何人か知っていますが、今、彼らはどうしているのでしょうか。マジ、どっかへ行ってしまった。偉くなったのでないことだけは確か。


 その後、彼らの足取りはさだかではない。(←木枯らし紋次郎の芥川隆行のナレーションみたいにお読みください