会議で、好印象を与える自己表現法 | ビジネス便利屋のここだけの話

会議で、好印象を与える自己表現法

 昨日は、好印象を与える自己表現術として、主に以下の2点についてご紹介しました。


○「あなたの話で思いついた」と、相手の話に関連させると、意見が受け入れられやすくなる。


○会議の発表のときの意見具申は、上の人間に教えを請う形ですると、生意気に聞こえない。


 これらと関連するものとして、以下のフレーズも追加させてください。


 ●企画や提案は、100%完成させず、上役の意見を聞く余地を残しておく。

 はじめに申しておきますが、これは全てのケースに当てはまるわけではありません。本来、一人前の社会人なら、企画や提案は自分で全て考え、プレゼンテーションしてもなんら問題はない。…と、いうより当然でしょう。また企業として、それぐらいの能力を持った社員がいなければお話にならないのも事実です。


 しかし、自分より優れた企画や提案が、部下の個人的な能力によってのみもたらされたということに、上司はどういう気持ちを持つでしょうか。


  客観的に見て、これは素直に喜んでいいことに決まってます。たとえホントは違っても、すぐれた部下を自分は育てたのだと思えば、表立ってそれに異を唱える人はいないはず。一応部下なんですから、多少の薫陶は目に見えない形でも、与えている可能性がある。


 でも、そう思わない上司って、結構多いかも。とくに大企業で、最先端の経営理論を勉強している上司ほど、部下が100%ひとりで作り上げた企画や提案にケチをつけそうです。本当にケチをつけねばならない企画や提案も数多くあるのでしょうけど…。


 これが、自分の会社とは関係ない赤の他人だったら、素直に受け入れられるんですよ。


 「○りえもんみたいに、旧来の価値観を変えるようなバイタリティのある若手って、うちの会社にはいないよな」


 なんて、嘆いている中高年中間管理職は、結構いるらしいですが、ホントに部下にいたらどうなんでしょうねぇ。


 「こいつの企画や提案が全て通ったら、大変なことになるぞ。いくら企画は良くても、あいつに権限を与えたら大変なことになる。俺たちは真っ先にリストラじゃ」と大騒ぎになって、どこぞの野球連盟みたいに、シャットアウトせざるをえなくなる。 


  これは少し極端な例かもしれませんが、能力のある部下が、自分ひとりで作った企画、提案に対して、諸手をあげて喜べないムードが一部の組織の中にあることは間違いありません。


 そこで、企画や提案を支障なく通したいと思ったら、それを100%完成させず、上役の意見を聞く余地を残しておく。


 これは、おべっかとも考えられますが、このような手を使って出世をした人が、日本の歴史の中にいますね。史上最大の出世をしたと言っていい、太閤秀吉です。


 ご存知のように秀吉は、草履取りから身を起こし、上司といっていい織田信長に気に入られ出世街道を邁進します。そして、毛利攻めの司令長官に任命される。まだ羽柴秀吉と言っていた時代です。


 秀吉は苦労しながらも、諜略を繰り返して味方を増やし、一歩一歩、毛利を追い詰めていきます。そして、自分だけの軍勢でも毛利と互角に戦えるところまでくる。ここで秀吉が、自分の軍勢だけで毛利を滅亡に追い込めば、すごい功名を立てることになるでしょう。


 秀吉は、自分だけでもある程度戦えるという自信はあったと思いますよ。でも、上司の信長に援軍を要請します。 「大毛利は、とても猿風情が戦えるような相手ではございません。是非、信長様自らの出馬をお願いいたしたく…」と、平身低頭して、秀吉は信長の出馬を懇願します。


 功名を100%完成させず、信長の意見を聞く余地を残しておいたのです。この辺の人間の機微の読み方はさすがですね。普通なら、絶対自分のところの軍勢だけで勝ちたいと思うのが人情です。  信長は、当然、秀吉の考えはわかっていたのでしょう。しかし、怒れない。


 「いつまで経っても、俺が出て行かなければ戦を終わらせられないのか」と苦笑したかもしれません。しかし、気分は悪くなかったのでしょうね。すぐ明智光秀を、秀吉の応援に向かわせ、自らも安土城を出て中国へ向かうべく、京都の本能寺へ入る。そのあとは、皆さんご存知の通り。


 能力に見合った仕事なら、一人ですべて完成させないと、「何だ。こんなことも一人でできないのか」と怒られる。


 周りの誰が見ても、できそうにない仕事をひとりで全てこなしていまうのは、気持ちのいいものです。若い頃、そう度々ではありませんでしたが、何回かありました。支店全体の目標を一人で全部やってしまうみたいな。


 当然、それだけ仕事をすればほめられます。全部自分がやったんだと肩で風切って歩きたくなる。


 しかし、それも一瞬。仕事ができるということは、確かに認める。だけど人間としては、ひとり突出して喜んでいる者は認めない。


 この論理を、もちろん面と向かって言う人は誰もいないでしょう。本人すら気づいていない場合が多いのですから。だけど、なんとなく面白くない。いけ好かないという気持ちだけが残る。そして、それがどんどん積み重ねられていくのですね。


 こういう人間関係のからくりを、太閤秀吉は知っていたのですね。いくら「人たらしの秀吉」と言われるぐらい人間関係に造詣が深くても、400年以上前の人ですよ。


 そんな昔の人に、いまさらながら教えられるというのは、人間は進歩したなんて、勝手に思っておきながら、実際は少しも進歩していないことに驚かされるのです。